- 離婚コラム
離婚話を切り出したのが私から。女は強いね。
離婚話を切り出したのは私から。女は強いね。
経済的な保証は何にもなかったのに。
暗澹たる11月が過ぎて、その年の年末年始ったら💦なかった💦
家の中の雰囲気と最悪度合いは更に増していました。
家探しを始めたのが2月の寒い時期で、巷ではインフルエンザが大流行。
その時期は家を探すには既に遅く、
良い物件も出払ってしまった事も知らずにいました。
悪徳不動産屋の口車にのって、
はじめて見た物件を無理やり押さえさせられる…
という、ありがちな罠にもハマりました。
翌日すぐに返金してもらいに行ったけど…。
3月、4月と物件を見て回って、なかなか気に入ったものもなくて、
見る部屋見る部屋、暗く、陰鬱な部屋ばかりでした。
その時の私の精神状態がまさに!どん底だったので、
同じような部屋を引き寄せてしまったんです💦
しかし娘とふたり、やり直すためには、
どうしても!納得がいく部屋を探したかったのです!
気に入った部屋が見つかったのがなんと6月!そして急いで引っ越し。
離婚が成立したのは7月末でした。
思い出せば長い道のりでした。
その間に長女が大学進学、
第一志望校になかなか決まらず、
11月の推薦で落ち、1月の一般入試で落ち、3月の後期日程でやっと合格したので、
その受験と独り暮らしの準備に追われました。
一方で、自宅を売却するという大きな決断をし、
不動産会社とのパイプ役は私が、契約手続きは夫がやりました。
ドロドロの中でホント良くやったわ~💦
ローン残高より売却益が出て、
ほんの少しでもプラスになったのが、せめてもの救いでした。
別れるのにも、お金がかかったのです。
各々の引っ越し代、敷金礼金、新しい生活の準備。
夫とは離婚条件交渉で立ち話をする程度、
同じ家に住んでいながら一番遠い人でした。
夫が先に気に入った物件を見つけて出て行きましたので、
残された大量の衣類や処分しなくてはならないものは、
私が毎日整理してひとつひとつ捨てました。
これがすごく大変でした。
離婚しても、いつかは友達になれるかもしれない?そんな平和な関係なんて
考えられなかったです。